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2015年11月

2015年11月18日 (水)

ヨハネスブルク出張

皆さん、お久しぶりです。

2週間ほど南アフリカはヨハネスブルクへ出張して来ました。

皆さんはヨハネスブルクと聞いてどういうイメージを持たれますか?

 

2010年にワールドカップが開催され、決勝戦が開催されたので、サッカーのイメージがある方もいるでしょう。

世界一危険な都市というイメージを持たれる方もいると思います。

 

が、到着したO.R.タンボ空港は、黒人こそ多かったですが、きれいな空港で、到着後、外で喫煙しましたが拍子抜けする位危険な感じはありませんでした。

 

今回僕らが滞在したのはヨハネスブルクでもサントンという、白人裕福荘が多く住むエリアでしたので、そこでも全く危険な目に遭うことはありませんでした。

 

滞在したホテルの、道路を挟んで向かい側には大きなショッピングモールがあり、徒歩で向かうことができます。広場にはネルソン・マンデラの大きな像が設置されており、黒人も白人も、ついでに出張中の東洋人も写真を撮影しています。ショッピングモールには他の国でも見られるような有名なお店がいくつもあります。スーパーマーケットもあるのでそこで買い物もしました。僕が訪れた時は、H&Mがオープンしたため、大層な行列ができていました。その行列にも白人もいれば黒人もいました。

 

ただ、ガードマンらしき人があちこちに立っていたり、閉店後にはショウウィンドウの時計やアクセサリなどがしまわれているのを見ると、やはり他の治安の良い国とは違うと思い知らされます。また、いくら安全そうに見えても、夜間の一人歩きは危険なので絶対にやってはいけないようです。

 

歩道には黒人に混じって白人も普通に歩いていますし、ジョギングする白人やスポーツタイプの自転車を走らせる白人も見かけます。しかし家を囲む塀の高さや、塀の上に張り巡らされた有刺鉄線と高圧電線から、見た目ほど安全でないことを思い知らされます。

 

高速道路からヒルブロウ地区やソウェト地区も見ましたが、ヒルブロウ地区はサントンとは路上の雰囲気もまるで違い、世間で言われている危険都市ヨハネスブルクの様相を呈していました。

 

道路には比較的きれいなクルマが多く走っていました。日本車、韓国車、ヨーロッパ車、アメ車など、特定の国のクルマに偏ることなく、いろいろな国のクルマたちがよく整備された高速道路を走っています。ピックアップトラックが人気らしく、結構な割合で走っています。また大型バイクもよく目につきました。

 

そんな中、たまに街中で、インドネシアでよく見かけたバジャイという三輪タクシーの最新型とおぼしきものを見かけました。インドネシア同様タクシーとして使われているのかどうかは分かりませんが。その一方、発展途上国でよく見かける125CC程度の所謂カブのようなバイクに家族4人で乗車とか、大量の荷物を積んでの移動とかは全く見かけませんでした。

片側4車線あるハイウェイと英語の看板や標識から、アメリカの田舎のようにも感じられますし、昔の名残か、ヨーロッパ調の建造物を見るとヨーロッパのようにも感じられます。一方で路上を歩く黒人たちや、道ばたでカット野菜やフルーツを売る売店をみれば東南アジアの様にも感じられます。そして赤い大地はアフリカそのものです。とにかくいろいろな表情を見せてくれる街、それがヨハネスブルクです。

 

最初はとても危険な街であることを覚悟して行ったため、周りの黒人たちが全て僕らを狙っているように思えましたが、当然ながら全てがそんなわけもなく、ホテルの従業員、レストランのボーイ、会社の人たちはみんな気さくでいい人たちでした。黒人も白人もやたらとサムズアップをしますが、やはり黒人のそれはサマになります。

 

肉食中心なのと、普段朝食をとらないのにホテルなのをいいことに毎日朝食をとっていたせいか、確実に太ってお腹周りがきつくなっています。

 

こうして2週間の滞在期間中、特に危険な目に遭うことなく久しぶりの英語圏、インドネシア以外の南半球、そして初めてのアフリカ大陸を経験することができました。ある程度の注意と緊張感を持って過ごせば、決して危険なだけの街ではないことも分かりました。その一方で決して安易な気持ちで足を踏み入れてはいけないエリアが現実にあることもまた分かりました。

 

最後に、今回20時間近く費やした移動時間は苦痛以外の何者でもありませんでした。もし今後も行く機会があれば、その時にはファーストクラスとは言いませんが、せめてビジネスクラスで行きたいです。


 

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